よしてよせての会設立動機は、自身の介護、ひきこもり、生活困窮経験
代表の奥村は、32歳から認知症の祖母とガン・精神疾患を罹患した母親の介護・見守り・各種手続きなどほぼ1人で13年間
担っている「若者ケアラー」、「就職氷河期ケアラー」当事者です。
「経済的な事情」、「兄弟は結婚し家庭もちで私だけが独身」、「祖母と一番相性がよく大好きやった」の3点があり、在宅介護しました。
当時、今のように「ヤングケアラー」がクローズアップされておらず、介護しているのを友人や近所などなるべくわからないように生活を送っていました。
自宅で介護と買い物でスーパーと薬局に行く日々で「ひきこもり」状態…。
それでも、平日の昼間に祖母と2人でコンビニに行く姿などをみて私がケアラーである噂は広まっていきました。
追い打ちをかけるように、祖母と母親は浪費癖がひどくて税金や消費者金融からの借金1000万を抱えていたため、裁判所や弁護士や消費者金融に謝罪に行き手続きをするなどの経験をしました。
ある時は、電気と水道が料金滞納で止まってしまって祖母は泣く、母親は呆然 私は自身の貯金を使うか兄弟にお金を借りに行く中、介護が同時並行。
母親は、精神疾患で体重が36キロから31キロに減少、食欲や水分摂取も困難になり、やむおえず精神科病院で医療保護入院。
「シンゴ、私はこんなところ行きたくないやめてーーー」
今でも母親の悲鳴を思い出し、もっとできることはなかったのかと悔いる時があります。

こうして辛く苦しいことは多々ありましたが、介護を経験したからこそ学んだことがありました。
それは、認知症の進行や加齢で歩行困難になっても、祖母は「車椅子は使いません。自分で歩きますからね。一緒に歩くわよ」と笑いながら私をよく散歩へ誘いました。
「祖母が懸命に自分の足で歩き、生きようとしている」姿勢に「ヨシッ、ばあちゃん、ガンバレ」とエールを送ります。
あるいは、祖母が打撲で入院してあっという間に車椅子生活になってしまったのですが、退院後、私と介護・医療従事者さんの協力で片杖になりました。
そして、ある人生の転機が訪れます。
ライター、商業出版依頼、よしてよせての会設立
X(旧ツイッター)やブログで介護体験談を投稿していたら、介護専門誌やウェブメディアから「連載しませんか?」とオファーをいただきました。
さらに、出版社から「おばあちゃんは、ぼくが介護します。」をぜひ商業出版してください と依頼が舞い込みました。

「俺の介護経験が一冊の本になって似た境遇をもつ人たちに届けられるんや、やったでおばあちゃん」
祖母や母親や家族はとにかくビックリ!!!
そして、「似た境遇の人たちと交流できる場を作りたい」、「制度やサービスはわかりにくいから情報難民を防ぎたい」、
「(介護経験から)介護は介護だけでなく、医療や福祉や経済的に苦しいなど複合的な原因があるからなるべくワンストップで
支援したい」と思い「よしてよせての会」を設立。

2023年夏には広範な社会活動が評価され「国際ソロプチミスト神戸東クローバー賞」を受賞し、現在では当事者と専門職35名強がいます。

2025年中には一般社団法人化を目指しています。
執筆・取材、支援団体活動、講演活動などはテレビ、新聞、雑誌、ウェブメディア多数に取り上げられています。


奥村シンゴプロフィール
ケアラー・福祉ジャーナリスト、支援団体「よしてよせての会」代表、講師、前相談支援事業所部長。取材、相談1000回超/講談社、介護専門誌連載6年目、認知症祖母、精神疾患など母若者~就職氷河期ケアラー(ひきこもり含)計13年経験。大学、企業他講演。生粋の阪神ファン。
