奥村シンゴプロフィール&メッセージ

生い立ち・職歴・実績

■出身・居住地 大阪生まれ。両親離婚のため宝塚市に転居し36年間住む、2024年5月より仕事の関係で大阪市旭区に引っ越し。

■出身校 金光大阪高等学校、神戸学院大学法学部法律学科卒業。

■職歴  大学卒業後、HP制作会社の株式会社CNSや放送・通信業受託の東証一部企業株式会社CSKマーケティングのコールセンターで主に電話の受発信や新人教育などを8年間担当。

■介護・ひきこもり歴 30歳過ぎの時、祖母が認知症と母親が脳梗塞を罹患。弟と妹は結婚・家庭持ち・祖母と不仲で私が1人で祖母と母親のケアを開始。介護離職。祖母が浪費癖で借金600万(経済的負担)、夜中から朝方に徘徊やトイレで便器と逆向きで尿(肉体的負担)、物盗られ妄想で毎日話を聞く(精神的負担)。母親は脳梗塞後、大腸ガンや精神疾患になり「ダブルケア」やケア負担が重いことから「ひきこもり」、「生活困窮」を経験。トータル10年間に及ぶ。

■介護・ひきこもり生活から社会復帰への道のり 介護中にブログなどで介護体験談を綴りはじめる。介護ウェブメディアや介護専門誌から連載オファがあり「在宅ライター」を開始し、2021年『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』(株式会社法研)を商業出版。

2022年に10~40代の「ヤングケアラー」、「ケアラー」、「ひきこもり」と家族を対象にした伴走支援団体「よしてよせての会」を設立した。見えない、言いづらい悩みの早期発見、交流、啓発活動を中心に活動。相談回数は1000回以上。LINEオープンチャット、オフライン・オンライン交流会、講演会など定期開催。

2023年からは大学・自治体・企業中心に講演活動を開始。7月には執筆・取材、支援活動、講演活動が評価され、「国際ソロプチミスト」神戸東クローバー賞受賞。

2023年以降、NHK「おはよう日本」、「Liveinひょうご」、フジテレビ、読売新聞、神戸新聞、毎日新聞、共同通信、介護専門誌日総研認知症ケア、マネ―現代(現代ビジネス)、ヤフーニュース他600回以上掲載・出演、連載。

現在 大阪市旭区合同会社シェア(相談支援事業所カベリ)のケアラー事業部長に就任。相談支援事業所(市区町村指定の福祉の総合窓口)でケアラーから派生する重層的相談(例 生活保護世帯のひとり親家庭。母 精神障害、夫ひきこもり、娘高校生ヤングケアラー)やその他、大学など学校、自治体、企業研修・講演や講談社で取材・執筆活動を展開中。

趣味・特技

〇亀山・新庄フィーバー時代からの阪神ファン。球場観戦年数は26年。一番の思い出は2023年阪神タイガースの日本一を京セラドームで観戦できたこと。好きな選手はランディーバース。

〇80~00年代。(アメリカ横断ウルトラクイズ、27時間テレビ、めちゃイケ、明石家さんま、島田紳助、ダウンタウン、とんねるず、ナインティナインetc)

〇読書 1週間2冊。

介護で苦労したこと

私が介護をした理由は「経済的な事情」、「兄弟は結婚し家庭もちで私だけが独身」、「祖母と一番相性がよく大好きやった」の3点でした。

「介護なんて全くわからん。本すら読んだことないのにどないしよ・・・」母親が脳梗塞で倒れるし、祖母は認知症がジワジワ同時進行。「介護保険が必要です」って言われても???の状態・・・。

介護経験を振り返ると「学び」と「苦労」の連続でしたね。最後から執筆や取材などで他者のケアの想いや環境が知れて、主観と客観のバランス感覚を基にさまざまなステージで伝えています。

まず、「苦労」の部分でいえば、主に下記の4つがありました。

①要介護認定の曖昧さ・・・ 例)「シンゴくん、どうやったら家帰れるんかいな?」号泣する祖母、困る喫茶店のママ。私が迎えに行く。あるいは、ガスの火のコンロをよくつけ忘れる。これで要介護1。

②施設に預けろと大人が簡単に言う社会・・・「介護は無理せず施設に預けたらいいよ」と人はよくアドバイスをくれます。でも、俺とばあちゃんのように「要介護者と介護者が一緒に家で過ごしたい」人の想いはどうなるんでしょうか?

③友達は減る、ケア仲間はいない・・・「ヤングケアラー」どころか男性若者介護もあまり認知されていませんでした。友達から「なんでお前が介護するん?」、「仕事はどうすんねん」とケアして逆に非難される事多々・・・。

④受け皿の介護施設や病院探しに苦労・・・母親は、2年前から原因不明の腹痛と便秘を繰り返し、体重が36キロから32キロまで減少。どの医者も原因不明の診断で、精神疾患と判断され施設や一般の病院もお断り・・・。精神科病院だけは避けるべく、半年以上施設や病院を探したものの選択肢がありませんでした。

介護で得たこと

①介護は一人ではできない・・・「よく一人で介護した」、「複数人で介護した」と表現しますが、間違っていません。しかし、一人で介護といっても、ケアマネジャー・訪問看護士・医師・看護師・上司・部下などが支えになってくれています。周囲の協力なくしてケアは成立しません。

②家でみたいと思わせてくれたおばあちゃんの力・・・認知症の進行や加齢で歩行困難になっても、祖母は「車椅子は使いません。自分で歩きますからね。一緒に歩くわよ」と笑いながら私をよく喫茶店へ誘いました。 「祖母が懸命に自分の足で歩き、生きようとしている」姿勢に、私は「ヨシッ、ばあちゃん、ガンバレ」とエールを送ります。祖母が私を後押ししたと言っても過言ではありません。

③要介護者がイライラした時は半ば強引に楽しい話題をふる・・・例えば、もの盗られ妄想から「財布や通帳を返して」と執拗に迫ってきました。私は「何か面白そうなテレビ番組ない?」「(高齢者施設の連絡帳を見ながら)今日は塗り絵を塗ったんやどんな絵かみせて」と話をふると、イライラを忘れていました。

④介護は適当に・・・本人に対して、「適当に相手をする」ことが無理なく過ごすためのコツだと知りました。一日同じ話を何十回もするのに一回一回まともに返事してたら身がもちません。

⑤介護は構いすぎない・・・転倒・徘徊・排泄の失敗など、すべてをケアすると本人のADLが低下し、介護者の体がもちません。 なので、転倒や骨折などリスクを防ぐ条件で、「構いすぎない介護」がベターと考えます。 私は、祖母に車椅子に乗らず歩行するよう指示したり、排泄の失敗をするギリギリまで様子をみたりしていました。 意外と本人のやる気に火がついていました。

⑥一か所でも常連の介護施設や病院を作る・・・非常に重要。コロナ禍で対面面会、ショートステイを急遽空けてくれるなど何度も助けられました。

⑦複数人介護をしても仕事できる・・・介護中にコツコツとブログを発信し、介護メディアからお声がかかり在宅ワークライターを開始。商業出版、テレビ・新聞・雑誌など多数掲載・出演、講演など仕事が増えていきました。ついに昨年には支援団体まで立ち上げました。やる気次第!!!

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