生い立ち・職歴・実績
■出身・居住地 大阪生まれ。両親離婚のため宝塚市に転居し36年間住む、2024年5月より仕事の関係で大阪市旭区に引っ越し。
■出身校 金光大阪高等学校、神戸学院大学法学部法律学科卒業。
■職歴・実績 大学卒業時、就職氷河期の一番内定率が悪い2002年卒業で110社受験も希望職種に就けず2年間、家庭教師やスーパーの接客バイトでフリーター生活を送る。
その後、HP制作会社の株式会社CNSや放送・通信業界の東証一部株式会社CSKマーケティングのコールセンターで主に電話の受発信や新人教育などを約8年経験。
ところが、32歳から認知症祖母とガン・精神障害・脳梗塞の母をほぼ1人で13年、ひきこもりや生活困窮も経験した「若者~ミドル(就職氷河期)ケアラー」、「(広義)のダブルケア」の一人。
介護期間中に、SNSやブログで介護体験談を発信していたところ、ウェブメディアと介護専門誌の連載オファーをうけ「ライター」デビュー。
2025年5月31日現在で、ケアラー・介護・福祉中心に介護専門誌・ヤフーニュース他連載・掲載中。累計600記事超、介護専門誌・講談社現代ビジネス連載5年、月間アクセス140万PV記録。
2021年「おばあちゃんは、ぼくが介護します。」を商業出版。

2022年にはケアラーやいきづらさを抱えた人たちの支援団体「よしてよせての会」を立ち上げて代表を務める。

2023年 NHK「おはよう日本」や「ひめDON」、読売新聞、毎日新聞、神戸新聞、共同通信、
ヤフーニュース、講談社現代ビジネス他多数に出演、掲載。


執筆・取材・講演・支援活動広範に評価され国際ソロプチミスト神戸東クローバー賞を受賞

2024年~ 講演の依頼が入るようになり、宝塚市、尼崎市、医師中心のホスピス研究会、KHJ(全国ひきこもり家族会連合会)つばめの会、関西学院大学、関西大学、企業他で主に「ケアラー」、「障害福祉」、「介護」をテーマに講演中。


2024年 障がい者の総合相談窓口「相談支援事業所」の事業部長を務めた後、現在は、「ケアラー・福祉ジャーナリスト」、支援団体「よしてよせての会」代表で活動中。
↓ 2025年3月2日 読売新聞ミライ実践帳で特集。


2025年5月12日のMr.サンデーの就職氷河期特集に出演、多くの反響を得た。


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趣味・特技
〇亀山・新庄フィーバー時代からの阪神ファン。球場観戦年数は26年。一番の思い出は2023年阪神タイガースの日本一を京セラドームで観戦できたこと。好きな選手はランディーバース。
〇80~00年代。(アメリカ横断ウルトラクイズ、27時間テレビ、めちゃイケ、明石家さんま、島田紳助、ダウンタウン、とんねるず、ナインティナインetc)
〇読書 1週間2冊。
介護で苦労したこと
私が介護をした理由は「経済的な事情」、「兄弟は結婚し家庭もちで私だけが独身」、「祖母と一番相性がよく大好きやった」の3点でした。
「介護なんて全くわからん。本すら読んだことないのにどないしよ・・・」母親が脳梗塞で倒れるし、祖母は認知症がジワジワ同時進行。「介護保険が必要です」って言われても???の状態・・・。
介護経験を振り返ると「学び」と「苦労」の連続でしたね。最後から執筆や取材などで他者のケアの想いや環境が知れて、主観と客観のバランス感覚を基にさまざまなステージで伝えています。
まず、「苦労」の部分でいえば、主に下記の4つがありました。
①要介護認定の曖昧さ・・・ 例)「シンゴくん、どうやったら家帰れるんかいな?」号泣する祖母、困る喫茶店のママ。私が迎えに行く。あるいは、ガスの火のコンロをよくつけ忘れる。これで要介護1。
②施設に預けろと大人が簡単に言う社会・・・「介護は無理せず施設に預けたらいいよ」と人はよくアドバイスをくれます。でも、俺とばあちゃんのように「要介護者と介護者が一緒に家で過ごしたい」人の想いはどうなるんでしょうか?
③友達は減る、ケア仲間はいない・・・「ヤングケアラー」どころか男性若者介護もあまり認知されていませんでした。友達から「なんでお前が介護するん?」、「仕事はどうすんねん」とケアして逆に非難される事多々・・・。
④受け皿の介護施設や病院探しに苦労・・・母親は、2年前から原因不明の腹痛と便秘を繰り返し、体重が36キロから32キロまで減少。どの医者も原因不明の診断で、精神疾患と判断され施設や一般の病院もお断り・・・。精神科病院だけは避けるべく、半年以上施設や病院を探したものの選択肢がありませんでした。
介護で得たこと
①介護は一人ではできない・・・「よく一人で介護した」、「複数人で介護した」と表現しますが、間違っていません。しかし、一人で介護といっても、ケアマネジャー・訪問看護士・医師・看護師・上司・部下などが支えになってくれています。周囲の協力なくしてケアは成立しません。
②家でみたいと思わせてくれたおばあちゃんの力・・・認知症の進行や加齢で歩行困難になっても、祖母は「車椅子は使いません。自分で歩きますからね。一緒に歩くわよ」と笑いながら私をよく喫茶店へ誘いました。
「祖母が懸命に自分の足で歩き、生きようとしている」姿勢に「ヨシッ、ばあちゃん、ガンバレ」とエールを送ります。祖母が私を後押ししたと言っても過言ではありません。
③要介護者がイライラした時は半ば強引に楽しい話題をふる・・・例えば、もの盗られ妄想から「財布や通帳を返して」と執拗に迫ってきました。私は「何か面白そうなテレビ番組ない?」「(高齢者施設の連絡帳を見ながら)今日は塗り絵を塗ったんやどんな絵かみせて」と話をふると、イライラを忘れていました。
④介護は適当に・・・本人に対して、「適当に相手をする」ことが無理なく過ごすためのコツだと知りました。一日同じ話を何十回もするのに一回一回まともに返事してたら身がもちません。
⑤介護は構いすぎない・・・転倒・徘徊・排泄の失敗など、すべてをケアすると本人のADLが低下し、介護者の体がもちません。 なので、転倒や骨折などリスクを防ぐ条件で、「構いすぎない介護」がベターと考えます。 私は、祖母に車椅子に乗らず歩行するよう指示したり、排泄の失敗をするギリギリまで様子をみたりしていました。 意外と本人のやる気に火がついていました。
⑥一か所でも常連の介護施設や病院を作る・・・非常に重要。コロナ禍で対面面会、ショートステイを急遽空けてくれるなど何度も助けられました。
⑦複数人介護をしても仕事できる・・・介護中にコツコツとブログを発信し、介護メディアからお声がかかり在宅ワークライターを開始。商業出版、テレビ・新聞・雑誌など多数掲載・出演、講演など仕事が増えていきました。ついに昨年には支援団体まで立ち上げました。やる気次第!!!
