生い立ち・職歴・実績

■出身・居住地 大阪生まれ。両親離婚のため宝塚市に転居し36年間住む、2024年5月より仕事の関係で大阪市旭区に引っ越し。

■出身校 金光大阪高等学校、神戸学院大学法学部法律学科卒業。

■職歴  大学卒業後、就職氷河期世代で希望職種がなく3年間アルバイトをしながら「スポーツアナウンサー」と「地方公務員」試験を受験。

両方の試験不合格になりHP制作会社の株式会社CNSに勤務。主に電話・対面営業を4年間経験。

放送・通信業受託の東証一部企業株式会社CSKマーケティングのコールセンターで主に電話の受発信や新人教育など4年間経験。

■介護・ひきこもり歴 32歳の時、祖母が認知症と母親が脳梗塞を罹患。弟と妹は結婚・家庭持ち・祖母と不仲で私が1人で祖母と母親のケア開始のため介護離職。

夜中から朝方に徘徊やトイレで便器と逆向きで尿(肉体的負担)、物盗られ妄想で毎日話を聞く(精神的負担)。母親は脳梗塞後、大腸ガンや精神疾患になり「ダブルケア」やケア負担が重く「ひきこもり」、祖母の借金1000万近く(経済的負担)で「生活困窮」を経験。

この時、「ケアラー」だけでなく、「ひきこもり」、「障がい」、「経済的困窮」など複合的な諸課題があるのを知る。

2022年2月 祖母老衰で逝去 

2023年8月~ 母親精神障害と高次機能障害で入院中 現在は母親の書面手続き、面会、カンファレンスなど参加中。 

■介護・ひきこもり生活から社会復帰への道のり 介護中にブログなどで介護体験談を綴りはじめる。介護ウェブメディアや介護専門誌から連載オファがあり「在宅ライター」を開始し、2021年『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』(株式会社法研)を商業出版。

2022年に10~50代の「ヤングケアラー」、「ケアラー」、「ひきこもり」と家族を対象にした重層支援団体「よしてよせての会」を設立。

主に日本で希少の支援の狭間世代の「若者」と「ミドル層」に対して、毎日LINEオープンチャット、個別相談、講演会、お話会など定期開催。メンバーは50人に達しました。

2023年からは大学・自治体・企業中心に講演活動を開始。7月には執筆・取材、支援活動、講演活動が評価され、「国際ソロプチミスト」神戸東クローバー賞受賞。

2023年以降、NHK「おはよう日本」、「Liveinひょうご」、フジテレビ、読売新聞、神戸新聞、毎日新聞、共同通信、介護専門誌日総研認知症ケア、マネ―現代(現代ビジネス)、ヤフーニュース他600回以上掲載・出演。介護専門誌日総研認知症ケアや講談社マネー現代・現代ビジネス連載は5年目



趣味・特技

  • 亀山・新庄フィーバー時代からの阪神ファン。球場観戦年数は26年。一番の思い出は2023年阪神タイガースの日本一を京セラドームで観戦できたこと。好きな選手はランディーバース。
  • ニコニコ生放送のゲーム みんなでつりっくま、ぺんぺんライダー、はなてアーティストバッティング
  • ひとり旅 日本全国一人でどこへでも行く  

介護で苦労したこと

私が一人で二人のケアを経験した理由は「経済的な事情」、「兄弟は結婚し家庭もちで私だけが独身」、「祖母と一番相性がよく大好きやった」の3点でした。

「介護なんて全くわからん。本すら読んだことないのにどないしよ・・・」母親が脳梗塞で倒れるし、祖母は認知症がジワジワ同時進行。「介護保険が必要です」って言われても???の状態・・・。結局、介護離職しダブルケアスタート。

介護経験を振り返ると「学び」と「苦労」の連続…。主観と客観のバランス感覚を大切に執筆・取材、講演、支援活動で伝えています。

まず、「苦労」の部分でいえば、主に下記の6つがありました。

①要介護認定の曖昧さ・・・ 例)「シンゴくん、どうやったら家帰れるんかいな?」号泣する祖母、困る喫茶店のママ。私が迎えに行く。あるいは、ガスの火のコンロをよくつけ忘れる。これで要介護1。

②施設に預けろと大人が簡単に言う社会・・・「介護は無理せず施設に預けたらいいよ」と人はよくアドバイスをくれます。でも、俺とばあちゃんのように「要介護者と介護者が一緒に家で過ごしたい」人の想いはどうなるんでしょうか?

③友達は減る、ケア仲間はいない・・・10年前は、「ヤングケアラー」どころか男性若者介護もあまり認知されていませんでした。友達から「なんでお前が介護するん?」、「仕事はどうすんねん」とケアして逆に非難される事多々・・・。

④受け皿の介護施設や病院探しに苦労・・・母親は、2年前から原因不明の腹痛と便秘を繰り返し、体重が36キロから32キロまで減少。どの医者も原因不明の診断で、精神疾患と判断され施設や一般の病院もお断り・・・。精神科病院だけは避けるべく、半年以上施設や病院を探したものの選択肢がありませんでした。

介護で学んだこと

①介護は一人ではできない・・・「よく一人で介護した」、「複数人で介護した」と表現しますが、間違っていません。しかし、一人で介護といっても、ケアマネジャー・訪問看護士・医師・看護師・上司・部下などが支えになってくれます。ケアは周囲の協力なくして成立しません。

②一緒にいたい!と相思相愛の祖母と私・・・認知症の「進行」や「加齢」で歩行困難でも、祖母は「車椅子は使いません。自分で歩きますからね。一緒に歩くわよ」と笑い私をよく喫茶店に誘いました。

「祖母が懸命に自分の足で歩き、生きようとしている」姿勢に、私は「ヨシッ、ばあちゃん、ガンバレ」とエールを送ります。祖母が私を後押ししてくれた、色々学ばせてもらった 不思議なものです。

③要介護者がイライラした時は半ば強引に楽しい話題をふる・・・「何か面白そうなテレビ番組ない?」「(高齢者施設の連絡帳を見ながら)今日は塗り絵を塗ったんやどんな絵かみせて」と話をふると、イライラを忘れていました。

④介護は適当に・・・本人に対して、「適当に相手をする」のが無理なく過ごすためのコツだと知りました。一日同じ話を何十回もするのに一回一回まともに返事をしてたら身がもちません。

⑤介護は構いすぎない・・・転倒・徘徊・排泄の失敗など、すべてをケアすると本人のADLが低下し、介護者の体がもちません。 なので、転倒や骨折などリスクを防ぐ条件で、「構いすぎない介護」がベターと考えます。 私は、祖母に車椅子に乗らず歩行するよう指示したり、排泄の失敗をするギリギリまで様子をみたりしていました。 意外と本人のやる気に火がついていました。

⑥一か所でも常連の介護施設や病院を作る・・・非常に重要。コロナ禍で対面面会、ショートステイを急遽空けてくれるなど何度も助けられました。

⑦複数人介護をしても仕事できる・・・介護中にコツコツとブログを発信し、介護メディアからお声がかかり在宅ワークライターを開始。商業出版、テレビ・新聞・雑誌など多数掲載・出演、講演など仕事が増えていきました。

講談社介護福祉ライターや講演家を努める。やる気次第!!!